今、財務会計の世界はどのように動いているのか? |
先日の新聞記事にあったとおり、年金の会計処理に関しても、コンバージェンス(さらに言えばアドプション)の一環として、IFRSの年金会計処理を採用する方向となった。 具体的な処理については新聞記事を参照してもらうが、簡潔な概略は以下のとおり。
例えば、年金資産の運用が悪化したことに伴い、前期末時点では資産と退職給付債務が均衡していた状態から、期末時点では、年金資産の積立不足額が10億円発生したとしよう。 現行の日本基準では、この10億円について、当該年金基金の固有の状況を加味した、年金基金加入者の「平均残存勤務期間」以内の一定の年数で償却認識していくことになっている。 成熟した年金基金であれば、概ね平均残存勤務期間は10年前後が多いと思われるため、償却年数についても5年から10年、長い企業では15年となっていると考える。 従って、昨今の金融危機によって株式・債券運用が急速に悪化し、当初想定していた期待運用収益率との関係から、多額の積立不足が発生したとしても、例えば、10年償却を行っていれば、翌期においてはその積立不足発生額の10分の1程度の損益影響にとどまることになる。 仮に2~3年後に年金資産の運用市場が回復し、プラス方向の差額が発生してくれば、上記10年間の償却負担の一部が相殺され、損益に与える影響が緩和されることになる。
この会計処理の根底には、そもそも年金会計は1~2年の短期的スパンで会計処理を考えるものではなく、比較的長期間の制度設計の下に会計処理が組み込まれるべきであるとの考え方がある。 確かに年金会計の仕訳の前提となる計数は、将来の予想や見積に依存した統計的な手法によって計算されたものがほとんどであり、その見積の前提(例えば、退職給付債務を統計的に算出する前提となる割引率など)がわずかに変動するだけで、会計処理額が数億円、数十億円変動することもざらである。これを毎期毎期、ストレートに財務会計に反映させることは、長期的視点に立った投資家やその他利害関係者の混乱(ミスリード)を招く可能性もあると言える。
その意味では、ある程度長いスパンで外部及び内部要因を会計処理に反映させていく現行の日本の年金会計も適当ではないかと考える。
ところが、IFRSが進む方向は「現時点で、年金資産の運用が悪化して、積立不足が発生しているのならば、それを貸借対照表(財政状態計算書)に即時に反映させるべきである」というものである。なお、この積立不足の一括償却費用については、IFRSにおいては「包括利益」という概念のもと、いわゆる日本で根付いた企業活動の結果として表示される損益には含めなくても許されることになっている。
年金会計はIFRSに基本概念を象徴する一つとなっているが、そもそもIFRSの基本思想には、現時点の財政状態を如何に的確に表示するかの点に大きなウェイトを置いていると思われる。 少し言い過ぎかもしれないが、その概念のもとでは、損益計算書(包括利益計算書)は当期と前期の財政状態計算書の増減差額に過ぎないという感じさえする。
また、財務会計において、この概念や発想が歓迎されている業界があるのも事実である。 それは昨年まで我が世の春を謳歌した、アメリカを中心とした金融資本主義の世界である。この世界においては現存する企業であっても、金融取引に組み込まれる企業価値(金融資産)として見られている状況であった。従って、金融資本や投資家が、財務会計や財務諸表に求めた尺度・機能は、当該投資対象である企業の売却価値、清算価値である。すなわち、グローバルなM&Aの隆盛や企業価値を定量リスク化した金融商品の開発など「今、この会社を売るとしたらいくらなの?」という観点で企業を見る機会が多かったのは否めない。この人々にとっては、上記のIFRSの財政状態計算を重視する基本概念はまさに好都合であったのではないか。
しかしながら、昨今、その行き過ぎた金融資本主義に対する反省や見直しが行われている。
その意味では、財務会計が「誰の視点に立ち、何を示すことを目的するのか」をあらためて考えてみる時期にいるのではないだろうか。 企業が「社会の一員」として周りに及ぼす影響を考慮すれば、投資家・株主・債権者という直接的な関係者のみならず、従業員(その家族)・近隣住民・サービス享受者など広範なステイクホルダーをも見据えた行動が求められており、それが企業の継続性の必須要因となっているといっても過言ではないと思う。
その意味では、本当に年金積立不足を即時認識することが、広範なステイクホルダーに対する財務報告にかなうものなのだろうか・・・。
一方、IFRSや米国基準のなかで一目置くべき会計基準として、資産除去債務(Asset Retirement Obligation:ARO)やCO2削減などの環境債務に関する会計基準がある。 これに関しては、今までの日本基準が当たり前となっている我々に対して、企業が社会不経済を及ぼしており、そこに社会的コストが発生していることを再認識し、このコストを適切に財務諸表に反映させることを求めるものである。つまり、今まで「企業が如何に環境に負担を与えていても、それが直接的に請求され、キャッシュアウトしない限り、無コストである」という意識の変革を求めるものである。
少々話が多岐に及んだが、言わんとするところは、日本基準が向かおうとしているIFRSという目的地には、積極的に取り込むべき基準もあれば、もう一度立ち止まって考え直すべき基準もある。日本の会計プロフェッションもその両面性を慎重に判断し、グローバルな場で積極的に発言していく必要があるのではないだろうか。
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